WILHELM FURTWÄNGLER

FURTWÄNGLER RENAISSANCE


フルトヴェングラー・ルネサンス

知られざる作曲家の軌跡

谷河儀和著
YOSHIKAZU TANIKAWA


【フルトヴェングラー・ルネサンスについて】








「フルトヴェングラー・ルネサンス」のウェブサイト公開について


2004年はウィルヘルム・フルトヴェングラー博士の没後50周年にあたり、その記念の年に拙文を出版するつもりで書き始めたのが本書である。しかしその後の諸事情によって執筆は遅れに遅れ、未だ総量の半分にも満たない進捗状況である。
本書は博士のクロニクルと位置づけされるべく、博士の「指揮芸術の本質」に深く迫り、現存する「400点を越えるすべての録音の検証」、そして「作曲家フルトヴェングラーの再発見」という3大テーマで構成されるものである。完成すれば500ページを超えるものと思われるが、このような大部な著作は生誕125年の現在をもってすら世に出ていないし今後も出ることはないであろう。私事ながら近年は執筆へのモチベーションも低下し、初心の貫徹が危ぶまれていた次第である。
このたび思案の末、今までに書いた原稿をウェブ上にアップすることにした。つぎはぎだらけで誠に人目にさらすのがはばかられる状態であるが、原稿をこのまま眠らせておくのも忍びないことと、モチベーションをあげて執筆を再開するためにも最善ではないかとの思いに至ったのである。
本書はもともと若い人たちにむけて書かれたものであるからウェブサイトで公開することはよいことであろう。今後少しずつ加筆されることになるが、その項目内容のアップロードは「お知らせ」でご案内することとした。完成までの道のりは未知数だが著書のタイトルにふさわしい内容を目指す。

2012年5月
谷河儀和






企画の背景

2003年5月


フルトヴェングラー博士の芸術が半世紀を経た現代においても遠い過去のものとして風化せずに、不正不滅の輪廻のように新しい生命を与えられて甦ることができるのはなぜであろうか。

世に巨匠と称される指揮者は枚挙に暇がないほどに存在したが、博士の全人格と後世に残した偉業とは圧倒的に突出しており、時代が進むほどに、その全人的内容のスケールの大きさは他との比較をまったく不可能としている。
かつて日本人にとってヨーロッパ音楽とは「ドイツ音楽」を意味するほど、私たちはいつもドイツ的なものにことのほか親密さを覚えたものである。このことは音楽にとどまらず、ヨーロッパの芸術的な分野においてあまねくいえることであろう。振り返ってみれば、そもそも近代日本の発展は明治の黎明期より、政治、化学、文化の多くをドイツ帝国にその範を求め、結果として近代国家として国際的に認知を受けるまでの躍進を遂げたことは周知のことである。
その後時代の変遷に呼応すかのように人々の志向は多様化の傾向をたどり、音楽への嗜好も様ざまなジャンルに及ぶようになった。そこには日本の産業構造が重厚長大型の基幹産業を中心とした形態から、エレクトロニクスを中心とする軽薄短小型の産業形態へと大きくシフトしたことによって生じた社会的変化との興味深い類似性が認められる。

このような世界的な社会環境の変化にともない、ドイツ古典音楽は以前の輝きを失いつつある感が強い。ドイツ古典音楽が他の地域の音楽、あるいは近代、現代音楽の隆盛の中に埋没する危機にある物理的諸事情についてはここで問わない。しかしこの問題には人為的原因が大いにあることだけは指摘しておきたい。

じつは、さかのぼること1920年代のころからフルトヴェングラー博士は、すでに当時のドイツが前述とまったく同じ状況にあったことを認識しており、このままではドイツ古典音楽が衰退するのではないかという強い危惧を抱いていた。そこで博士はベートーヴェンに飽きてきた聴衆に対して、けっしてワインガルトナーのように指揮をせずに、その比類のない感性と不断の努力によってその音楽に新しい生命を吹き込んだのであった。聴衆は博士の演奏するベートーヴェンのなかにこれまでとは違う、活き活きとした新鮮な息吹と精神の高揚を感じとり、ふたたびドイツ古典音楽を再評価するにいたったのである。このことは博士の最大の功績であり、少なくとも博士の存命中は聴衆のベートーヴェンにたいする共感が維持されたのであった。
フルトヴェングラー博士の死後、まだ数人の良い指揮者が健在であったが、彼らのなかに博士の使命を告ぐことができるものは一人としていなかった。そこには資質と能力という博士の絶対的なアイデンティティが、他者にはどうしても越えられないハードルとして存在していたからである。

近代指揮者においてフルトヴェングラー博士ほどドイツ古典音楽の正統な継承者であり、バッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーへと受け継がれた美しい流れのごとき系譜を相続した音楽家はいない。残念なことに博士からその系譜を伝承した者は一人も存在しなかった。
博士の死とともにこれまで連綿と続いてきたドイツ音楽の伝統がその終焉を迎えることとなったといっても過言ではない。

さて現代の日本においてもドイツ古典音楽が半世紀前のポジションを維持しているとは到底いいがたい。ところが不思議なことにそのドイツ古典音楽の代名詞たるフルトヴェングラー博士の芸術だけはその例外である。今もなお多くのCDがリリースされ、そのリストの枚数は年々増え続けている。古来日本では武士道、わび、さび、幽玄といった精神のあり方が尊ばれ華美を遠ざける気風が伝統であった。このような日本人の特性と博士の人物像にはきわめて顕著な類似性が認められ、この民衆的な伝統のうえに博士への強い支持が保持されているといえよう。



フルトヴェングラー関連書の出版事情

2003年5月


前述の諸事情からフルトヴェングラー博士に関する資料や出版物の量は他の指揮者のものとは比較にならないほど膨大である。しかしながらそのうち需要度の高いものは、各国の国会図書館やアルヒーフに所蔵されているため一般の入手が難しく、内容もきわめて専門的かつアカデミックである。そこで日本の入門者が比較的入手しやすいものとしてはクルト・リースの著書が挙げられる。そのほかにもいくつかの出版物があるが、そのすべてが翻訳本であり、よく調査されているも興味本位的でジャーナリスティックなものが多いように見受けられる。たとえ推薦したいと思ういくつかの良書はすでに絶版となっている。ぜひ再販を期待したい。

博士の録音の解説書であるがこれまでに3種類が出版されている。そのうちの2種は翻訳物であり一つは絶版となっている。残る邦人による著書は内容があまりにもお粗末であり、コメントのほとんどが同意しかねる内容である。博士の芸術を理解する上において、その重要な記録である全録音の解説書としては稚拙に過ぎる。このよう著書が博士が遺した貴重な録音の集大成として、スタンダードなポジショニングに位置づけされていることに大いなる懸念を抱く次第である。
したがって、これから博士の芸術に接していこうとする、新しい聴き手にふさわしい「フルトヴェングラー・クロニクル」なるものが、日本人の手によって書かれることの必要性を強く感じたのである。







フルトヴェングラー・ルネサンスの概要

2003年5月


本書はフルトヴェングラー博士の「クロニクル」および「全録音解説集」を1篇の体系書としてまとめるものである。なお、今まで博士の正しい理解者にしか知られることのなかった「作曲家フルトヴェングラー」の功績に多くの紙面を用意し、その重要作品の詳細を記述するという画期的な書となる予定である。
「クロニクル」と「全録音解説」という二大テーマを有機的に関連付けて一大構成にするとは、まさに恐れを知らない素人の無鉄砲にほかならないが、博士への思慕の強さからこのような独自のスタイルをとることとした。
予想通りこの構成は執筆及び編集に多くの困難を呈しているが、博士の生き様と偉大な業績の足跡を俯瞰するためには最善の手法と確信している。
なぜならば博士の指揮芸術は、つねに一期一会の「こころ」にもとづいており、その演奏の一つひとつは、二つとして同じ形のない巨石にたとえることができよう。それらは二度にわたる大戦に見舞われた祖国の苦難を乗り越えて真摯に築きあげられ、次の世紀への偉大な遺産となるべき、まさに前人未到の巨大なピラミッドを形成するに似た大いなる働きであった。
それらの録音は博士がまさしくその瞬間に、真実生きていた、という証であることはいうまでもないが、その一つひとつが聴き手に様ざまな想像を抱かせ、多くの問題を考えさせるという作用において歴史的に極めて貴重な記録なのである。そこには他の演奏家との安易な比較論などを展開する余地などまったく存在しない。演奏批評や録音批評などというものは、所詮他者との比較を論じることで成り立っていることが多く、的外れでとんちんかんなものが散見される。そのような意識レベルの低い音楽評論家と称するものがいかに多いことであろうか。フルトヴェングラー博士の演奏芸術を他者との比較という次元、あるいは何らかの尺度をもって語ることはことさら意義のあることではないし無駄の一語に尽きる。

本書は年代記の進捗に沿って現存するすべての録音にフォーカスしていく。その理由は作品と博士の関わりや時代背景、とくに博士が身をおいた環境を時系列的に理解することが有意義と思われるからである。
博士には同曲異録音が多いが、それらのすべては一回性の演奏記録であり、それぞれ個々の細部にわたり比較し論じることは意味のあることとは思われない。したがって個々の演奏内容の違いを必要以上に分析することは控えた。
年代記の目的とするところは、たとえば博士の天才性という部分にスポットを当てることよりも、むしろその生を受けた以後の成長過程を描くことによってこそ、博士がいかに努力の人であったか、あるいは、いかにしてあのような気高い精神の持ち主となったのかを明らかにしていくことであった。
第三帝国時代においては亡命という安易な手段をとらず、ドイツ音楽とその聴衆のために祖国にとどまったことが一部の批判を惹起した。本書はこの問題について、博士の心に生じた常人には推し量る事のできない葛藤を博士がどのようにして克服していったかを検証する。歴史に名を刻んだ偉大な芸術家の多くがそうであったように、フルトヴェングラー博士の粘り強い気質がまさに驚嘆に値するものであったことが証明されるであろう。

2003年5月


エリーザベト・フルトヴェングラー夫人のこと


2004年5月、私はエリーザベト夫人に手紙を書き送ったが、そのときの心境は以下のようなものである。

私がヨーロッパの芸術文化、とりわけドイツの精神文化に対する心眼を開くことができたのは、もっぱらフルトヴェングラーの芸術に触れる機会に恵まれたからである。シェイクスピアやゲーテを読むことを薦めてくれたのもフルトヴェングラーであった。
日本ではフルトヴェングラーにまつわる文献が多数出版されている。本人による5冊の著書とエリーザベト夫人による回想録が中心をなすが、ほかに海外のジャーナリストによる著作の邦訳も多い。唯一日本人の著作としては1984年に出版された志鳥栄八郎氏によるものがある。この本はエリーザベト夫人と著者との対談により構成されており、フルトヴェングラーの素顔がいきいきと表現されていた。
私は日本人によるフルトヴェングラーの新しい本の必要性を強く感じていた。それはとくにフルトヴェングラーの音楽を知らない多くの音楽愛好家のための体系的な専門書のことである。
優秀な専門家の手になる新しい本の出版を待ち続けたが、フルトヴェングラーの没後50年を記念する今なお、このことは彼岸となっている。そこでこの大事業を自分の手によって成し遂げなければならないと強く感じたのである。
この著作のタイトルは「フルトヴェングラー・ルネサンス」と名づけられた。私は音楽家でも評論家でも文筆家でもない。フルトヴェングラーを敬愛するビジネスマンに過ぎない。したがってこの著作は専門家が書くものとは一線を画している。その構成はフルトヴェングラーの作曲家、指揮者、著作家という三つの仕事を明らかにするものである。
本書では作曲家としてのフルトヴェングラーの業績、つまり作品が後世に遺した重要なメッセージとそれらの意義が主要なテーマとなるであろう。これまでにない試みである。フルトヴェングラーがA・ブルックナーのあとを継いだ最後のシンフォニストであったことは、まったく疑問の余地がない。
私は執筆を昨年の5月から始めたが、その直後の6月に左耳の難聴に見舞われた。原因が判明せず耳鳴りと難聴を背負って今後の人生を送ることになる。
フルトヴェングラーは周知のように晩年、耳の聴こえが悪くなった。1954年のザルツブルクで「フライシュッツ」の試演の最中、左の耳がよく聴こえず第1ヴァイオリンに正しい指示が伝わらなかったが、そのときの公演がすばらしかったことをオットー・シュトラッサーの回顧録で読み深く感動した。
私の人生において、よりいっそうそフルトヴェングラーの音楽を聴かなければならないときに残念なことになってしまった。当然のことながら執筆は遅れたが現在250ページ分ほど書き進んでいる。

以上の心境と状況にもとづき認めた手紙をエリーザベト夫人に送付した。

エリーザベト・フルトヴェングラー夫人への手紙




村木真寿美氏との出会い


6月の梅雨のころ、全国的に大雨が降ったある日のこと、女性の声で電話がかかってきた。電話の用向きはフルトヴェングラー夫人から私宛ての伝言を預っているとのことであった。その女性は村木真寿美氏と名のる方で、私に「執筆に精を出して本を完成させて欲しい」という夫人からのメッセージを伝えていただいたのである。
東京からの長距離電話で、その日は大雨であったにもかかわらず、わざわざ公衆電話からかけてくださったのであった。私は驚きと感謝でいっぱいであった。夫人がいまだ健在であることもうれしい限りであった。
村木氏はご自分の著作の取材のためにドイツから来日されているとのことであった。村木氏との出会いはその後の私の人生にとって有意義であり、教わることもずいぶん多くすばらしい出来事であった。
村木氏はドイツへ帰国後、「恋におちた大指揮者」という題のフルトヴェングラーに関する文を「日本経済新聞」に寄稿された。




村木真寿美氏の著書

「レイモンさんのハムはボヘミアの味」、「クーデンホーフ光子の手記」、「ミツコと7人の子供たち」、「もう、神風は吹かない」、「左手のピアニスト/ゲザ・ズィチから舘野泉へ」、「ルードヴィヒ2世の生涯」、他多数。


エリーザベト・フルトヴェングラー夫人から寄せられたメッセージ



フルトヴェングラー夫人からのメッセージ


ウィルヘルム・フルトヴェングラーの没後50年が過ぎました。
欧州では、映画館、劇場、コンサートホールなどでいろいろな催し物がありました。私もいくつかの感動的な演奏会に立ち会いました。日本の友人たちは、2004年11月30日をどう過されたことでしょう。
日本ではテ・デウムやニ短調のヴァイオリン・ソナタが演奏されたと聞いております。私としては、フルトヴェングラーの作品がもっと演奏され、作曲家としてのフルトヴェングラーが発掘されればいいと思っています。

フルトヴェングラーの言ったことに、

人は芸術作品に没頭せねばならぬ。すなわち芸術作品とは閉ざされた世界、他に依存しない世界なのである。この没頭は愛と呼ばれる。愛とは評価すること、つまり比較することの逆である。(注)

この言葉は谷河さんを感動させ、彼にフルトヴェングラーの本を書くきっかけを与えました。独創的な動機です。人は、それぞれに、フルトヴェングラーへの道を探し、その芸術を発見すればいいのだと、私は思っています。

フルトヴェングラーがもっとも理解されているのは、日本です。著書「フルトヴェングラー・ルネサンス」が、フルトヴェングラー文献のさらなる一冊として加わることをうれしく思い、それが、若い世代の理解に貢献するようになることを期待します。

エリーザベト・フルトヴェングラー
2005年1月20日  クラランにて


原文訳: 村木真寿美

(注)「音楽ノート」/フルトヴェングラー著/芦津丈夫訳/22頁より(白水社)



エリーザベト夫人から贈られた写真


エリーザベト夫人とダニエル・ギリス氏


車の運転はご自分で


エリーザベト夫人と村木真寿美氏




村木真寿美ご夫妻と大阪にて






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