エリーザベト・フルトヴェングラー夫人のこと
2004年5月、私はエリーザベト夫人に手紙を書き送ったが、そのときの心境は以下のようなものである。
私がヨーロッパの芸術文化、とりわけドイツの精神文化に対する心眼を開くことができたのは、もっぱらフルトヴェングラーの芸術に触れる機会に恵まれたからである。シェイクスピアやゲーテを読むことを薦めてくれたのもフルトヴェングラーであった。
日本ではフルトヴェングラーにまつわる文献が多数出版されている。本人による5冊の著書とエリーザベト夫人による回想録が中心をなすが、ほかに海外のジャーナリストによる著作の邦訳も多い。唯一日本人の著作としては1984年に出版された志鳥栄八郎氏によるものがある。この本はエリーザベト夫人と著者との対談により構成されており、フルトヴェングラーの素顔がいきいきと表現されていた。
私は日本人によるフルトヴェングラーの新しい本の必要性を強く感じていた。それはとくにフルトヴェングラーの音楽を知らない多くの音楽愛好家のための体系的な専門書のことである。
優秀な専門家の手になる新しい本の出版を待ち続けたが、フルトヴェングラーの没後50年を記念する今なお、このことは彼岸となっている。そこでこの大事業を自分の手によって成し遂げなければならないと強く感じたのである。
この著作のタイトルは「フルトヴェングラー・ルネサンス」と名づけられた。私は音楽家でも評論家でも文筆家でもない。フルトヴェングラーを敬愛するビジネスマンに過ぎない。したがってこの著作は専門家が書くものとは一線を画している。その構成はフルトヴェングラーの作曲家、指揮者、著作家という三つの仕事を明らかにするものである。
本書では作曲家としてのフルトヴェングラーの業績、つまり作品が後世に遺した重要なメッセージとそれらの意義が主要なテーマとなるであろう。これまでにない試みである。フルトヴェングラーがA・ブルックナーのあとを継いだ最後のシンフォニストであったことは、まったく疑問の余地がない。
私は執筆を昨年の5月から始めたが、その直後の6月に左耳の難聴に見舞われた。原因が判明せず耳鳴りと難聴を背負って今後の人生を送ることになる。
フルトヴェングラーは周知のように晩年、耳の聴こえが悪くなった。1954年のザルツブルクで「フライシュッツ」の試演の最中、左の耳がよく聴こえず第1ヴァイオリンに正しい指示が伝わらなかったが、そのときの公演がすばらしかったことをオットー・シュトラッサーの回顧録で読み深く感動した。
私の人生において、よりいっそうそフルトヴェングラーの音楽を聴かなければならないときに残念なことになってしまった。当然のことながら執筆は遅れたが現在250ページ分ほど書き進んでいる。
以上の心境と状況にもとづき認めた手紙をエリーザベト夫人に送付した。
エリーザベト・フルトヴェングラー夫人への手紙
村木真寿美氏との出会い
6月の梅雨のころ、全国的に大雨が降ったある日のこと、女性の声で電話がかかってきた。電話の用向きはフルトヴェングラー夫人から私宛ての伝言を預っているとのことであった。その女性は村木真寿美氏と名のる方で、私に「執筆に精を出して本を完成させて欲しい」という夫人からのメッセージを伝えていただいたのである。 東京からの長距離電話で、その日は大雨であったにもかかわらず、わざわざ公衆電話からかけてくださったのであった。私は驚きと感謝でいっぱいであった。夫人がいまだ健在であることもうれしい限りであった。
村木氏はご自分の著作の取材のためにドイツから来日されているとのことであった。村木氏との出会いはその後の私の人生にとって有意義であり、教わることもずいぶん多くすばらしい出来事であった。
村木氏はドイツへ帰国後、「恋におちた大指揮者」という題のフルトヴェングラーに関する文を「日本経済新聞」に寄稿された。
「レイモンさんのハムはボヘミアの味」、「クーデンホーフ光子の手記」、「ミツコと7人の子供たち」、「もう、神風は吹かない」、「左手のピアニスト/ゲザ・ズィチから舘野泉へ」、「ルードヴィヒ2世の生涯」、他多数。
エリーザベト・フルトヴェングラー夫人から寄せられたメッセージ
フルトヴェングラー夫人からのメッセージ
ウィルヘルム・フルトヴェングラーの没後50年が過ぎました。
欧州では、映画館、劇場、コンサートホールなどでいろいろな催し物がありました。私もいくつかの感動的な演奏会に立ち会いました。日本の友人たちは、2004年11月30日をどう過されたことでしょう。
日本ではテ・デウムやニ短調のヴァイオリン・ソナタが演奏されたと聞いております。私としては、フルトヴェングラーの作品がもっと演奏され、作曲家としてのフルトヴェングラーが発掘されればいいと思っています。
フルトヴェングラーの言ったことに、
人は芸術作品に没頭せねばならぬ。すなわち芸術作品とは閉ざされた世界、他に依存しない世界なのである。この没頭は愛と呼ばれる。愛とは評価すること、つまり比較することの逆である。(注)
この言葉は谷河さんを感動させ、彼にフルトヴェングラーの本を書くきっかけを与えました。独創的な動機です。人は、それぞれに、フルトヴェングラーへの道を探し、その芸術を発見すればいいのだと、私は思っています。
フルトヴェングラーがもっとも理解されているのは、日本です。著書「フルトヴェングラー・ルネサンス」が、フルトヴェングラー文献のさらなる一冊として加わることをうれしく思い、それが、若い世代の理解に貢献するようになることを期待します。
エリーザベト・フルトヴェングラー
2005年1月20日 クラランにて
原文訳: 村木真寿美
(注)「音楽ノート」/フルトヴェングラー著/芦津丈夫訳/22頁より(白水社)
村木真寿美ご夫妻と大阪にて
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